『松竹大陸』は、現在活動中の松竹芸能所属タレントに、幼少期の武勇伝や芸人になったきっかけ、コンビ結成秘話を取材いたします。
第6回ゲストはこちら!
松竹芸能に所属しながら、鹿児島県鹿屋市の市役所でPR役に励む二刀流芸人半田あかりさん。
松竹芸能東京事務所で待ち合わせ。
大きなスーツケースの上に発泡スチロール?!を引っ掛けて、
年頃の女性らしいファッションで現れた彼女は、挨拶もそこそこに衣装替えに。
戻ってきた彼女は、魚河岸にいそうなねじり鉢巻に漁師合羽、おさげ姿。
ーさっそく一張羅ですね!本日はよろしくお願いします。
半田:そうなんです。よろしくお願いしますー!
―現在、鹿児島県鹿屋市に勤務をされてる半田さんですが、幼少期はどんなお子様でしたか?
半田:それはそれは可愛がられて甘やかされたタイプでした。
特にお母さんには「あんたは可愛いし、頭いいし、才能もあるし、何でもできる!」って。
年子の姉がいるんですけど、姉はよく私の妹に間違えられるような感じで、
おとなしく、両親が敷いたレールの上をちゃんと歩いてました。
私はとにかく「自由」っていう、、、
ずっと物心ついた頃から「自由」と言われていたので、はい。
この通り、自由にすくすくと育ちました(笑)
―なるほど。
お姉さんは鹿屋市にも来られたことはあるんですか?
半田:姉とはものすごく仲良いんで「行く!」って言うてるんですけど、
今、3人子供がいるのでまだ来てもらえてないんです。
難しいですね、、、でも仲良いです!だいぶ仲良しです。
―そうなんですね。
では、すごくかわいがられて育った半田さんがタレントになったきっかけは、応募ですか??
半田:それがスカウトだったんですよね。
最初は、高校入学した頃にヘアサロンのモデルに声をかけてもらった事がきっかけで、それからはショーモデルとか、美容室のモデルとか人前に出るっていうのをその時に始めました。
写真撮られる時も、母に言われたまま素直に「私、可愛いからまあ、しゃーないな!」って感じの学生してたんです。
そんな頃に、心斎橋歩いていて、モデル事務所の方にスカウトして頂きました。
「とうとう来たか、コレ」って(笑)
―すごいですね! ちなみに、おしゃれをしていたとか、露出を意識されていたんですか?
半田:特に、普通でした。ひとりでウィンドウショッピング行こうかな!?って感じやったので。
確か普通のスキニーデニムにトップスみたいな服装でした。
普通の恰好をして普通に歩いてました。
ちなみに、体重は今より10kgくらい痩せてました。。
―何かオーラが出てたんでしょうね!?
半田:なんでしょうね。人によく道聞かれるタイプで、どこ行っても聞かれるので、声かけやすかったのかもしれません。多分。
―ちなみに、おいくつの時ですか!?
半田:それが、18、19歳くらいの時ですね。
でもまぁ怪しいじゃないですか。
なので、「まぁわかりました。」って感じで、その話を聞くと
「事務所に入るオーディションがあるから出てほしい。多分あなたならうちのモデルになれる」と。
『ほんまかいな!?』って思いながら、入学費とかでお金取られたら嫌なんで、もしお金を要求されたら、『ない!』って言って逃げようと思って当日の交通費だけ握り締めていきました。
そしたら、ほんとにトントン拍子に話が進んでいって、
そのまま社長にお会いして、所属することになった感じです。
―不安でお友達や、お母さんにご相談されたりはしなかったんですか?
半田:そうですね。事後報告やったかな。。どっちやったかな・・・。
母には「モデル事務所入ったわ」ってふわっと言った気がします。
友達も『半田やしな、お前いきそうやもんな』って感じで。
見た目が可愛いわけじゃないんですけど、前出る感じだったので。(笑)
「ミスコン?出る出るー!」っていう。
うん、そういう感じでしたね。
―特に周りからの反対も無く!?
半田:みんな『さすが!!』って。(笑)
母はヘアサロンモデルをしていた時にも、雑誌とかに載ると、すごい喜んでたんですよ。
『あーやっぱ美しい、誰よりも自分の娘は美しい』って。(笑)
なので私も反対されると思ってないまま育っていたので、事務所行って、
もし良い話だったら良い報告出来るし、悪い話やっても別に大した話じゃないしって思ってました。
所属が決まって、契約書を書くって時に、
お母さんに
「こういうことやわ、私、いよいよモデルやわっ」て。(笑)
―その後、モデル時代にはどういう活動されていたんですか!?
半田:ステージモデルですね。
例えば、ブランドの展示会とか関係者が集まるショーみたいなのがあって、すごい奇抜な服をとりあえず着て歩くウォーキングモデルですね。で、その歩くレッスンとか。
他には、そこの事務所から派生した小さいタレント事務所があって、そこでレースクイーンのバイトとかがあったので、
『そこで撮られる練習してきなさい』っていう司令があって、レースクイーンのバイトもしながらでしたね。
―色んな経験をされていたんですね。
カメラを向けられた時のキメポーズは何個か持ってたんですか!?
半田:事務所の方針として、モデル系やったらこういうポーズしないさいとか、 レースクイーンだったら企業さんがちゃんと見えて注目されるポーズを考えるとか、そういうレッスン受けてました。
―ちょっとやってもらってもいいですか!?(笑)
半田:では。 アイドル系やと、顔の前に手を持ってって・・・。 例えばカンパチの取材やったらこんな感じですかね。
―アイドルからかんぱちまで!
何でも対応できますね。(笑)
半田:はい頑張ってます。
ただ、アイドルは年齢的に限界が近づいてきてたんで。(笑)
―(笑)
ちなみに学生時代は優等生だったんですか!?
半田:学生の時は、普通でしたね。別に勉強が好きとかそういう訳でもなく。
中学くらいまでは優等生というか、高校から急に勉強できなくなってきました。 お笑いの劇場とかに行ったりして、あと、
パラパラサークルとかに入ってて、ちょっとギャルっぽいというか。
ちょっとチャーミングな時期もありましたね。(笑)
雑誌の読者モデルみたいな形で出させてもらったり、
ヘアサロンモデルをしながら、ショップモデルとかもしてたので、ガールズスタイルっていう雑誌に出させてもらったりしてたんで、
なんか「道あけて、可愛いから私!」そういうタイプだったんです!(笑)
みんなもう笑ってたんですけど!そんな感じでした!!(笑)
―その頃の自分は、数年後こんな格好でここに座っているなんて。
半田:思ってないですよ!
―ですよね。(笑)
―そんなアイドルスマイルで人気モデルだった半田さんが、 松竹芸能へ入られたきっかけは何だったんですか!?
半田:それがですね。体重管理が出来なくて、だんだん太ってきたんです。(笑)
で、「別にモデルやりたかったわけちゃうしな」、って感じで開き直ってて。
その時に事務所の社長が『あんた、うちの知り合いのグラビアの方うつらへんか!?』て
『あんた、まぁしゃべるし、タレント事務所行った方がいいで!』って。レースクイーンの時にも、マイクパフォーマンスみたいな時間があって、その時によく喋るようになって、ちょっとズレていってた実感はあって。(笑)
半田:
そのまま、グラビアをさせてもらったんですけど、
バラエティの仕事で芸人さんと絡むことも多くて、打ち上げにいくと、芸人さんって全てさらけ出して、失敗も肥やしにできて、丸ごと出してるのがすごいなって思ってたんです。
そんな時にたまたま一緒に居たノンスタイルの井上さんが、『お前ら来年も芸人でいてくれよ』って言って。
「わかりました!」「いやいやお前芸人ちゃうー!」っていうノリをずっとさせてもらってました。
芸人さんってそんな中にずっと揉まれて、素敵だなーって。
アイドルとかグラビアってイメージがあるので、髪の毛染めるのも社長と相談してたり、もちろん下ネタとかも言えなかったり、そんな感じやったんですけど、(芸人さんって)あ、なんか素敵やなーと思いました。
今までアイドルもグラビアも、言われたことをずっとやってて、やったら楽しいし、っていう感じやったんですけど、芸人っていうのは、ものすごいんじゃないかな?!と思って、『お笑いをしたい!』と思って、自分で事務所をやめました。
―決断されたんですね。
ちなみにおいくつの時ですか!?
半田:25歳の時ですね。
グラビアだったらDVD出せたら、レースクイーンだったら、展示会の方ではなくて、レースに出れれば、ある程度自分の中でも達成かなって思って。
これ以上はまあこんな感じかな!?というタイミングで、お笑いへ行こうと決心しました。
―自分の中でやり遂げた感があった感じですか。
半田:やり遂げては無かったんですけど、もっと究極のものはここ(お笑い)なのかなーって。
―常にストイックに挑戦されてる感じですね。
半田:若いうちの苦労は買ってでもしなさいと母に言われていたので。
甘やかされてはいたんですけど、辛い方を選びなさいと言われていて。ほんとに真に受けて、そっちを選んで来たんで結構今まで楽しかったんですよ。
半田「お母さん楽しいなー!辛い方選んだら!」
母「せやろー!」
みたいな感じです。そんなやり取りもあったので、「辛い方を選んだら割と楽しいプライスレスがある」っていう事を小さい時から身をもって知っていました。
芸人ってすごいしんどそうな事ばっかりしてはるけど、あれはその分すっごい楽しいに違いないって思ってですね。
先輩たちや仲間がいるし、相談したらいいやっていうのも想像してました。
―そのまま松竹芸能の養成所に入られたんですか?
半田:そうでは無くてですね、路上ライブ、インディーズライブから始まったんです。
フリーでやっていこうと思って。そうやって1人で出ていた時に、たまたま女の子が声かけてくれて。
結局その子とコンビ組んで漫才やってみようって事になりまして。
―全然知らない子ですよね!?
半田:はい。その子がピンのネタを見て、
「半田さんと組みたい!」って言ってくれて。
『はぁー嬉しい!』って、その子と一緒に漫才を始めました。
で、色んなインディーズライブに出て、とにかく場数が欲しいという事で、松竹芸能のライブのひとつに一般の方でも出れるライブがあるじゃないですか。
そこも含めて月30回以上舞台出てたんです。
もう場数を私らはこなさないと、どうやってウケるか身をもって知ろう。と思ってやってました。
―相方さんもそれくらいの熱い気持ちを持ってらっしゃったんですか!?
半田:「ついて行く!」って
「ずっと、半ちゃんについて行く!」って!
―わ、すごい!
半田:10歳も年下だったんです。。
当時女子高生で『もう全部ついて行く、あなたならついて行く』っていう感じやったんで、じゃあガンガン行こうぜ!!って主旨で。
―(笑)
半田:で松竹芸能のオーディション受けて、フリーでも出れるライブに出れるってなって、ランキングはそんなに良くはなかったんですけど、マネージャーさんが、声掛けて下さって。
『よかったら養成所に入ってくれないか!?』と。
「私らお金ないですよ」って言うたら『特待生として入ってくれたら』っておっしゃってくれて。
「いやーどうするぅ~、松竹芸能さんやしな!のっかっとこか」っという事で、入らせてもらって。
―すごい。運命ですね!
半田:お笑いというのがすごい厳しいのはわかっていたので、事務所に入ってしまったところで、仲間もいるし、会社も関わるわけで、もう生半可じゃできないので、ちゃんと修行してから、商品として自分が認められた時に、事務所に行こうとは言うてたんです。だからとりあえず、1〜2年は場数をしっかり、手ごたえが感じられるまでやろうって言うてたんです。
けど、声かけていただいて「どうする!?」ってすぐブレてしまって、すぐスっと行ってしまったんですけど。(笑)
―ネタは半田さんが書いてらっしゃったんですよね!?
半田:はい、もう私が全部。描き方とか全然わからなかったです。
とにかくインディーズで面白くて、ランキング上位の先輩のネタを全部ノートに書き写してました。文章にして、こういう書き方してるんだ、
この人こういう癖があるんやって。テレビ出てる人のネタも全部書き写して、ライブ出てる人はなんでこんなに違うの!?
とか、よお解らへんな、とか言いながら。 最初の私たちの形は、ここの文章をちょっと変えてくらいの、まんま真似から始めようって、真似をしてました。
私達やったら、どうやったら面白いかな!?って「井上さんやからこのボケで笑われるんやって!!私達の顔じゃ笑われへんって!」とか言いながら、どうしたらいいかなーって。
―相方さんもかわいい系な感じだったんですか!?
半田:いや、なんていうか。ダンプ松本さんみたいな、今でいうメイプル超合金のカズレーザーさんの相方みたいな。そっくりですね!!
可愛い方が半田で、もっと可愛い方が片山(元相方)みたいな。(笑)
いや私の方が可愛いからとか、そんな自己紹介をしてました。
―因みにどんなネタをされてたんですか。
半田:そうですね。私達の松竹芸能での最後の形のネタって言うのが、 普通に「正統派漫才師で頑張って行きましょう!」って漫才始めるんですけど、途中で喧嘩を始めて、掴み合いとかシャツ破るような喧嘩を始めるんです。
―女子同士で!(笑)
半田:で、相撲を取るんですね。
相方を客席に投げて、お客さんキャーってなってるところ、私が飛距離を計って、
以上!って言って終わるっていう。
謝りもしないで。
―(笑)
半田:一応、劇場の最後に逆にお客さんの出待ちさせて頂いて、「ありがとうございます。すみませんでした。」って言うんですけど。ネタとしては、謝ったら面白くないからって言って。
「バイオレンスでテレビに引っかかるように行こう」って言って。
賞レースは勝てないから諦めて、私たちはタレントよりで、オーディションでタレントとして引っかかるネタを磨いて行こう!
ということで、まぁ相方は肋骨折ったりとか、もう若い体にすごい苦労させてですね、コルセットしながら相撲とってくれて。
―相方さんはその時も学生だったんですか!?
半田:高校は途中で辞めたんです。色々忙しくなって、体も持たなくなって・・・。
最後の方はテレビにいっぱい出させてもらって、ロケばっかりだったので、物理的に睡眠時間とかなくて、結構忙しくさせて頂いていたので、
とにかくキツイっていうのがあって。今のアルミカンさんくらいじゃないですけど。。
―そうなんですね、喧嘩はしなかったんですか?
半田:もうちょっと優しくしてあげれば良かったんですけど、「みんなキツイわ!」
って言うて「みんなキツイけどやってんねん!それでも売れへん奴は売れへんねん!!売れてへんねん私らは!!」って。
いやー今思えばちょっとキツ過ぎましたね。芸能界も知らない子があんだけ付いて来てくれたのに、そのまま解散しました。
もうちょっと優しくしてあげれば、逸材やったのにもったいないと、大反省してます。
―半田さん的にはコンビで続けたかったんですか!?
半田:いやもうコンビじゃないと売れないと思います。
私は1人だとそこそこで終わる、よっぽど奇跡が起こらないとと思いますね。
―その後ピンになられて、鹿屋市さんのプロジェクトに参加されたきっかけは何だったんですか。
半田:もともと「あれもやりたい、これもやりたい」って気が多い方でしたので、次何やれるかなと思ってるときに、ちょうど鹿屋市の副市長が松竹芸能に来られて、
『今、鹿屋市はこういう状態です。あとは、司会進行ができて、テレビに出られるタレントがいれば、鹿屋市の町おこしが出来るんです!』という話を熱くして下さったそうなんです。
まさかこっち(自分)に話が来るとは思わなかったですね。
―副市長さんの発案なんですか!?
半田:すごいですよ。
何人か一緒に役所の方達で、大阪の松竹芸能の事務所に来て、鹿屋市のPRコント!?みたいなことをしながら、歌って踊って。
役所の方で考えたコントなので、内容は、「まー・・・」な内容なんですけど。
あの空気で、まあまあな音量でされて、その時のマネージャー達の目が忘れられない。
―どんな感じだったんですか?
半田:私どっちにつこうか、一瞬迷いましたもん!(笑)
この先の事を考えたら、・・・・難しっ!て。
いい方に転ぶかもしれんし、とにかく両方の間を取りましたよね。
「頑張って頂いてすみません〜」「この空気で~でもね、びっくりしましたね!」って。(笑)
―両方を器用に!(笑)
半田:間(あいだ)取りました。
間(あいだ)取ること覚えました!今思えば面白かったです!
―そこで決まってたんですか?やりたいっていうのは!?
半田:いえ、3か月ぐらいたってしっかり話が進んでたんですよ。
「・・で、半田さんどう!?行く?!」って (笑)
こうして鹿児島県鹿屋市をPRするという一大プロジェクトを背負って、大阪から鹿児島へ移住し、鹿屋市じゃ彼女を知らない市民はもう存在せず、次は県民制覇を狙っているとか。
ちなみにご持参された発砲スチロールには、鹿屋の大きなカンパチが入ってました。
「皆さんでどうぞー」と。
魚河岸で身につけた解体の技を、あの事務所で披露したんでしょうか?!
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